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011:クラマ、ヒエイ

日々のこと 行った場所

 鞍馬山に行ってきました。

 頂上、雨がふってきて、奥の院さんへは参らずに引き返す。と、虹が出ていたんだよ〜。

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 ちょうどご本尊、あの六角形の陣のような参拝所、ふしぎな岩のところの真ん前。通りかかったカップルに「虹が! 出てるんですよ!」と声をかけたら、写真を撮ってください、と。

 突然の雨のなか、しあわせなことがあったものです。

 

 登る途中、ふしぎな鹿にも遭いました。

 若い鹿で、里の鹿より色も薄くて、清々しくて神々しかった。

 

 あの赤と黒のすごいムカデは、母と2、3年前にはじめてお参りに行った帰り……道で轢かれているのを見かけました。神の使いだと言われているそうですが、いるんですね、今も、あんなムカデ。

 

 

 虹は、比叡山の頂上でも見たことがあって。

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  一回目の入院の前だから、2014年の暮れですね。

 越してきてから、虹をよく見ます。嬉しいことだ。

 

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 鞍馬のご本尊は、ワールドワイド的な名前でお呼びすると

サナト・クマラ

 というそうで、5月にはウエサク祭という(ウェーサーカ祭という台湾や香港で盛んだというお祭り、らしい)神秘的なお祭りもあるそうです。

 信教問わず、鞍馬山ではふしぎなことがよく起こるというし。

 UFOのスポットだとか。

(鴨川でもどこでも見る人は見るそうですが)

 

 私は越してきてから気功を教えてもらったので、

 気というものは人間のものも植物のものも大地や天のものもよくわかるけれど、

 鞍馬の気は特別で、すごい。

 

 3回ほどですが、来るたび、冷涼な気にも、あたたかい気にも……、癒してもらって、いやほんとに物理的に癒してもらってやっと峠というか登り下りを越えられる、山です、山。

 体力がなくてもこんなに登れるの、鞍馬山さんだけです。

 今のところ。

 

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 前年、大学の課題のために調べものをしていて、「鞍馬の魔王は美少年である」という情報にぶちあたったのですが、

 

 とっても気になるのでソースをあたってみるとします。笑

 

(サナト・クマラというのもヒンドゥーの神名で「永遠の若者」という意味だそうですが、魔王(護法魔王尊)と同一の方なのかは不明)

(美少年云々自体はWikipedia

 

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 グノーシスを研究していると、神智学等には慎重になってしまうのですが、私は私の道を行くしかないというか、自分の信仰を頼りに生きていくのがいちばん安全でよき道だと思います。

 

 あなた(がた)が見ているもの、体験していることは、今まで予言者たちが体験したくてたまらなかったのにできなかったことなのだ――といったことを、2000年前にイエスさまが言ったと聖書にありますが、

 

 そういうことを、よく、思い出します。

010:感覚

日々のこと 自分のこと

 道を歩いていて

 電車にのっていて

 笑っているひとをさがしている。

 

 魂がもし

 本当に確信のとおりなら

 そこに永遠はいくらでも広がる。

 

 ここに永遠はいくらでも開ける、

 そこに真実に会いたかった人がいる。

 それでそこに還りたくなる。

 でもそのとき もう帰っている。

 

 果てしない孤独と

 時の流れ 制約を越えて

 やっと今 身体のすみまで 目覚めている。

 

 それで感じる日々の世界は あまりに光でできていて

 自分自身に立ち返るたび あまりの光に目がくらむ。

 一日という膨大な量の時を過ごして

 憶えているのは

 ただ 歩いていた蟻と通じ合ったことだったり

 あと 雲の形を思い出したりも、

 

 ひとが あまりに尊いところで

 自分が 流氷に飛び込もうと思った時の話をしてくれたり

 自分が たくさんの惑星に転生してきたと話をしてくれたり

 

 自分が もしかしたらそうかも、と話をしてくれて

 そのときのみんなの自分は みんないつもを生きているみんなの自分の、まったくのそのものなのに、まるでそのひとの延長であるかのように、みんなはいつもは笑顔じゃない。

 

 くたびれているひともいる。

 忘れて 没頭しているひともいる。

 抱えすぎて 手一杯なひともいれば

 退屈しているひともいるのかもしれない。

 

 

 私は福音を伝えていきたいです。と、

 すべりこむように だけど ひとに発話することができた。

 

 福音としか言いようがないんだ。

 ただ生きていること、生きて関わってきたことすべてを、ひとつひとつとてもふつうにあたりまえに、会ったひと 友達に 友達と 話していくだけのこと。

 

 翼の話。

 気の話。

 風の話。魔術師になれるよ、って知った話。

(21世紀の日本の大学のゼミで。笑)

 

 あるいは光の話。

 あるいは記憶の話。忘れることについて。

 思い出すことについて。記憶のひとひらについて。

 夜にあふれる夢について。

 生きていくときのその核心について。

 

 足のつま先から

 手の先すべてから

 頭のてっぺんまで

 なにかいろいろなものが通っている。

 循環するそれらに

 すべてのものが揃ってる。

 エーテルもアストラルも

 この身体のすべて以上のものは

 この身体のすべてそのものでしかない。

 

 そしていつか

 向こう側が私をそっと叩くとき

 私はその肉をすてていく。

 

 そのときまで

 ずっと確かなものは

 ここにあって ここからここまで(身体)が

 すべてのものを溢れさせて 受け止めて 表していく。

009:次元魔術無罪論の序

雑記 創ったものについて

 1年以上放置してた個人サイトを復活させてるところです。

 自分の城なので、内部で遊びまくっちゃってやばいです。

 まるで幻想水滸伝の本拠地(笑)。

 

 で、

 魔がさして、というよりwordからweb用に保存できる機能を発見して試さんがために、去年12月に書いた散文を掲載してみたんです。

 

http://kurinezumi.moo.jp/planetair/novel/jigenmajyutu_muzairon_01.htm

 

 自分でも、読めない……です…………。

 

 

 

 読めるけど、意味不明。

 いや、意味はわかるけど、読めない。

 いや、読めない。

 読めない。

 …………。

 

 解読できない?

 そうそれ。

 

 

 ヘルマン・ヘッセ先生の『ガラス玉演戯』というすばらしい小説に憧れたんですよ。もう無意識の領域に深く根をはるほど深く深く憧れがあったんですよ。

 

 序文が「読めない」と評判の小説ですが、

 そこは憧れるべきポイントではなかったのでしょうか……、でも序文が一番面白いんですよ。数学と美術の融合・昇華についてとか(と解釈している)。

 

 

 いや、いいんだ。

 意味のわからない魔術の概念を説明して、

 それを見せつけられた教官がぽかーんとする、

 っていうシーンを書いた習作なので……(お茶を濁す)。

 

 今書いている書いているって言っているラノベは、ちゃんと読めるラノベなので(たぶん)、たぶん、大丈夫です(頭は)。