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001:いつか手紙に出すために

まえがき 自分のこと

 さいきん困っていることがある。

 さいきん、といってもどのくらいの期間のことであるか、実はそのはじまりも長さも見当がつかぬ。長い目でみて1、2年。と結論したいところであるが、いやいやそもそも7、8年の話でねえのと思う心もあれば、たったここ2、3週のことか、あるいは夏あたりからのことのような気もしてくる。

 長い前置きはよせ。と思うものの、ここで書き留めておきたいのはまず、この時間感覚のふしぎさ加減という案件。ここの話はいきなりもう、物質次元やら般若心経の解釈やらという迷宮に突っ込んでいくので割愛する。初回なので。

 

 それでさいきん困っていることがある。

 というのは、自分の考えをひとにうまく伝えられぬ、という言葉でしか伝えられぬ。となるが、やはりこれもうまく伝えられぬ。

 もはや日本語の迷路のようなもの、回りくどい論理のだんぺんの堂々巡り、やっぱりこうして文章にしてみてもおなじじゃないか、うまく言えんものは言えん、思考段階でうまく言えんものは脳でも口でもうまく言えん、会話でもメールでも手紙でもこうしてブログにしてみてもうまく言えんのだ、わあああああと泣き出したいところであるのだが、ぐっとこらえて文章を連ねていこうと思う。

 ゆえん、こうして回りくどく結論のない文章が連なってゆくのをゆるしていただきたい。

 

 このブログは私の、特に親しいつきあいのあった友人数人にむけて、書いている。

 こんなことになる前に、こんなところに至る前に、こまめになにかしら私を伝達するすべがありそうだったものだが、残念なことに今の私は、特に親しいつきあいのあったひとにほど、精神的な奥地深くをさらして通じたひとにほど、私の今のことがなにひとつ伝えられないでいる。

 不可解なことだ。

 私にはもはや私の名まえすらわからぬ。

 もちろん戸籍名はわかる。しかし親しい彼らは私を戸籍名でなど呼びはしていなかった。そのころは私に名乗るべき名があったからである。名乗るべき名もあったし、伝えるべき名もあった。このことは考察に値する。

 考察に値する事象ほど、比喩的抽象的あるいは文芸的な言い回しにならざるをえない。そういう箇所はまあ、二重下線の暗喩のようなもの、いつか開かれる伏線であったらよいと思う。

 

 格好つけていても仕方がない。

 一言で言えば私は、提示するべきアイデンティティといったものがない状態である。ない、取り出せない、思い出せない、そのどれが近しいのか判然としないが、そういうわけで文章の語調ひとつとってもうんうん悩み悩んだ挙げ句、開きなおり、直近に読んだ本の文体でつらつらと書いたわけだ。

 まずは親しい友人らが仮想敵とされているとはいえ、自分の考えをなんとか取り出してまとめてこねて日本語にしたい、その練習なり下書きなりがしたい、というのが結論的に言えばこの場を開設したいちばんの理由である。

 具体的な何らかの考えの伝達を目的とする以上、何を言っているのかよくわからねえといった長文乱文はただの悪文である。

 反省したい。

 

 ただ、ここまでの文章に何ひとつ骨身のある情報がなかったとしても、軟体生物がぐるぐるのたくっているような私の自己認識の色あい、茫漠ぶりが伝わることがあったらいいなあ、なんて思っている。