010:感覚

 道を歩いていて

 電車にのっていて

 笑っているひとをさがしている。

 

 魂がもし

 本当に確信のとおりなら

 そこに永遠はいくらでも広がる。

 

 ここに永遠はいくらでも開ける、

 そこに真実に会いたかった人がいる。

 それでそこに還りたくなる。

 でもそのとき もう帰っている。

 

 果てしない孤独と

 時の流れ 制約を越えて

 やっと今 身体のすみまで 目覚めている。

 

 それで感じる日々の世界は あまりに光でできていて

 自分自身に立ち返るたび あまりの光に目がくらむ。

 一日という膨大な量の時を過ごして

 憶えているのは

 ただ 歩いていた蟻と通じ合ったことだったり

 あと 雲の形を思い出したりも、

 

 ひとが あまりに尊いところで

 自分が 流氷に飛び込もうと思った時の話をしてくれたり

 自分が たくさんの惑星に転生してきたと話をしてくれたり

 

 自分が もしかしたらそうかも、と話をしてくれて

 そのときのみんなの自分は みんないつもを生きているみんなの自分の、まったくのそのものなのに、まるでそのひとの延長であるかのように、みんなはいつもは笑顔じゃない。

 

 くたびれているひともいる。

 忘れて 没頭しているひともいる。

 抱えすぎて 手一杯なひともいれば

 退屈しているひともいるのかもしれない。

 

 

 私は福音を伝えていきたいです。と、

 すべりこむように だけど ひとに発話することができた。

 

 福音としか言いようがないんだ。

 ただ生きていること、生きて関わってきたことすべてを、ひとつひとつとてもふつうにあたりまえに、会ったひと 友達に 友達と 話していくだけのこと。

 

 翼の話。

 気の話。

 風の話。魔術師になれるよ、って知った話。

(21世紀の日本の大学のゼミで。笑)

 

 あるいは光の話。

 あるいは記憶の話。忘れることについて。

 思い出すことについて。記憶のひとひらについて。

 夜にあふれる夢について。

 生きていくときのその核心について。

 

 足のつま先から

 手の先すべてから

 頭のてっぺんまで

 なにかいろいろなものが通っている。

 循環するそれらに

 すべてのものが揃ってる。

 エーテルもアストラルも

 この身体のすべて以上のものは

 この身体のすべてそのものでしかない。

 

 そしていつか

 向こう側が私をそっと叩くとき

 私はその肉をすてていく。

 

 そのときまで

 ずっと確かなものは

 ここにあって ここからここまで(身体)が

 すべてのものを溢れさせて 受け止めて 表していく。