002:2015年 読んだ本
順不同、敬称略。
記憶にあったものを書いてみたのち、メモを見返して追記したものが数段下げてあります。
特に人生の深くに刻まれた作品が☆印、
友人に「ぜひ読んでくれ!!」と言いたくなる作品は★印。
漫画の多くは借りもの(BL作も多い)。
本の多くもおすすめいただいたものです。感謝。
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【春】:入院先で読んでいたもの
《小説など》
ヘッセ/高橋健二 訳『ヘッセ詩集』
ヘッセ/高橋健二 訳『メルヒェン』
司馬遼太郎『風神の門』
☆『フランス幻想小説傑作集』
(シュペルヴィエル『沖の娘』など)
ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』 *途
☆ ミヒャエル・エンデ『エンデのメモ箱』
《漫画》
岩岡ヒサエ『星が原あおまんじゅうの森』1
少年サンデー
少年ジャンプ
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【夏】
《小説など》
藤原智美『運転士/王を撃て』
保坂和志『この人の閾』
☆梶井基次郎『檸檬』
三島由紀夫『命売ります』
吉村萬壱『ボラード病』
中村一『閃光少女』1
《小説外》
ラムサ/川瀬勝『ラムサ -真・聖なる預言』 *
佐藤優『知性とは何か』
藤原智美『検索バカ』
野田正彰『うつに非ず』
中井久夫『隣の病い』
船井幸雄『本物の生き方』
アン・アリスン『菊とポケモン』
宮台真司『僕たちはどこから来てどこへゆくのか』
藤本由香里『私の居場所はどこにあるの?』
藤原智美『ネットでつながることの耐えられない軽さ』
《漫画》
『NARUTO』16~30巻あたり
★ 『船を建てる』鈴木志保
『KISSxxxx』楠本まき
『メロポンだし!』東村アキコ
『クマとインテリ』basso
『椿びより』イシノアヤ
『好きです、この少女まんが[5] 異彩』
『重版出来!』~4?
『さよならガールフレンド』
『きのこ人間の結婚』1
☆ 『λの箱舟』1
『四弦のエレジー』1
『東京タラレバ娘』~3
『タイニーマイティーボーイ』1
中村明日美子『薫りの継承』
鎌谷悠希『少年ノート』全巻
藤崎竜『かくりよものがたり』~最終巻
☆ 遊行寺たま『テル・セル』1
清家雪子『月に吠えらんねえ』~最新巻
山岸凉子『日出処天子』~4 *途
☆ あしべゆうほ『クリスタル・ドラゴン』 *途
新谷かおる『砂の薔薇』
★ ますむらひろし『永遠なる瞳の群』
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【秋】
《小説など》
宮崎駿『風の帰る場所』『続・風の帰る場所』
高橋克彦『竜の柩』1・2
★ 乾石智子『夜の写本師』
★ ドーマン『類推の山』
荻原規子『空色勾玉』
江戸川乱歩『幽霊塔』
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると〜 』再読
又吉直樹『火花』
辻村深月『凍りのくじら』
筒井康隆『霊長類 南へ』
★奥泉光『東京自叙伝』
乾くるみ『イニシエーション・ラヴ』
スベトラーナ・アレクシエービッチ
『チェルノブイリの祈り』 *
司馬遼太郎『侍はこわい』
星新一『妖精配給会社』 *
《小説外》
『古事記』(岩波)*神話部分
『日本書紀』(岩波)*同上
☆宇沢弘文『好きになる数学入門(1)』
菅沼光弘/北芝健/池田整治
『サバイバル・インテリジェンス』
☆ 『猫はなぜ鏡を見ないか?』*
『内臓感覚』*
河野さやか『ピースボート体験記』
鈴木大拙(英文訳)『禅』 *
《漫画》
車田正美『聖闘士星矢 NEXT DIMENTION 冥王神話』
手代木史織『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』
★清水茜『はたらく細胞』
魔夜峰央『翔んで埼玉』
書き漏らし:その場で、あるいは群として触れたもの。
松谷みよ子さんら採取の日本の民話
平泉について、帰雲城について、街道・災害について
ジョジョの奇妙な冒険 3巻?くらいまで
以上。
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【2016以降】
(後日また別にまとめるはずですが)
★小保方晴子『あの日』
★岡潔『春風夏雨』 *途
★ 城平京『名探偵に薔薇を』
鳩見すた『ひとつ海のパラスアテナ』 *途
★☆田中芳樹『銀河英雄伝説』(徳間デュアル文庫版、正伝20巻)
★☆鈴木大拙『一禅者の思索』
『易の世界』*
☆ヘッセ/手塚富雄 訳『シッダールダ』
ベルナール・ウェルベル『蟻』*
★☆ベルナール・ウェルベル『タナトノート』
《漫画》
☆☆☆喜多尚江『空の帝国』文庫1
(すきすぎてやばい)
ZAKK『CANIS-Dear.Mr.Rain』
『それから、君のことを考える』
山本ルンルン『ないしょの話』
001:いつか手紙に出すために
さいきん困っていることがある。
さいきん、といってもどのくらいの期間のことであるか、実はそのはじまりも長さも見当がつかぬ。長い目でみて1、2年。と結論したいところであるが、いやいやそもそも7、8年の話でねえのと思う心もあれば、たったここ2、3週のことか、あるいは夏あたりからのことのような気もしてくる。
長い前置きはよせ。と思うものの、ここで書き留めておきたいのはまず、この時間感覚のふしぎさ加減という案件。ここの話はいきなりもう、物質次元やら般若心経の解釈やらという迷宮に突っ込んでいくので割愛する。初回なので。
それでさいきん困っていることがある。
というのは、自分の考えをひとにうまく伝えられぬ、という言葉でしか伝えられぬ。となるが、やはりこれもうまく伝えられぬ。
もはや日本語の迷路のようなもの、回りくどい論理のだんぺんの堂々巡り、やっぱりこうして文章にしてみてもおなじじゃないか、うまく言えんものは言えん、思考段階でうまく言えんものは脳でも口でもうまく言えん、会話でもメールでも手紙でもこうしてブログにしてみてもうまく言えんのだ、わあああああと泣き出したいところであるのだが、ぐっとこらえて文章を連ねていこうと思う。
ゆえん、こうして回りくどく結論のない文章が連なってゆくのをゆるしていただきたい。
このブログは私の、特に親しいつきあいのあった友人数人にむけて、書いている。
こんなことになる前に、こんなところに至る前に、こまめになにかしら私を伝達するすべがありそうだったものだが、残念なことに今の私は、特に親しいつきあいのあったひとにほど、精神的な奥地深くをさらして通じたひとにほど、私の今のことがなにひとつ伝えられないでいる。
不可解なことだ。
私にはもはや私の名まえすらわからぬ。
もちろん戸籍名はわかる。しかし親しい彼らは私を戸籍名でなど呼びはしていなかった。そのころは私に名乗るべき名があったからである。名乗るべき名もあったし、伝えるべき名もあった。このことは考察に値する。
考察に値する事象ほど、比喩的抽象的あるいは文芸的な言い回しにならざるをえない。そういう箇所はまあ、二重下線の暗喩のようなもの、いつか開かれる伏線であったらよいと思う。
格好つけていても仕方がない。
一言で言えば私は、提示するべきアイデンティティといったものがない状態である。ない、取り出せない、思い出せない、そのどれが近しいのか判然としないが、そういうわけで文章の語調ひとつとってもうんうん悩み悩んだ挙げ句、開きなおり、直近に読んだ本の文体でつらつらと書いたわけだ。
まずは親しい友人らが仮想敵とされているとはいえ、自分の考えをなんとか取り出してまとめてこねて日本語にしたい、その練習なり下書きなりがしたい、というのが結論的に言えばこの場を開設したいちばんの理由である。
具体的な何らかの考えの伝達を目的とする以上、何を言っているのかよくわからねえといった長文乱文はただの悪文である。
反省したい。
ただ、ここまでの文章に何ひとつ骨身のある情報がなかったとしても、軟体生物がぐるぐるのたくっているような私の自己認識の色あい、茫漠ぶりが伝わることがあったらいいなあ、なんて思っている。