013:勇気、力、真実

 鶴見俊輔さんと重松清さんの対談、

『ぼくはこう生きている 君はどうか』

 を読んだ。

 

 今年ははじめての、鶴見俊輔さんのいない夏だという。

 去年、亡くなられたそうだ。

 

 時代の中で、腹の底に叩き込まれた信念を通した人たちがいる。

 明治維新だって何だって、今の人は陰謀だとか騒ぐけれど、やっぱりあの江戸末期に立ち上がった人たちは、私(たち)と同じ人間として、すごいものを腹に持っていた真の「エリート」たちだったのだ、と痛感した。

 

 それで殺されてしまった人もたくさんあろう。

 中江兆民の子どもが、満州電鉄ができてとか何たらの時代の中、ずっと北京にいて時代を見ていた、という話にもとても感じ入った。

 

 鶴見さんご自身は、戦争に行ったけれど、信念を通せた、殺さなかった、というようなことがさらっと出てきた。

 やはり、どんな時代性の暴力、嵐に巻き込まれたって、それに流されていろいろなものを殺したり、いろいろなものを犯したりしてしまっては……、その罪悪はその魂が一生涯背負ってしまうことになるだろう。

 それは、とても厳しいことだけど、その人がその人として、腹にどれだけ信念、本性を持っていられたか――そういうことが、嵐の中で揺れて変わっていく自分を、どんな状況下でも自分の魂らしく支えてくれるのだろう。

 そんなことを考えた。

 

 あとは、日本が三流国としてどう生きていけるか、ということ。

 その国の弱さ、強さ。個性。それを、周りとの関係の中で、役割として果たして行けるのだろうか。

 国境を取っ払うとか、愛国心ナショナリズムとか、よりも、そういう考えの中で(今までの、そしてこれからの)戦争と平和を考えていくべきなのだろう。

 

 どんなにすごい人になっても、鶴見さんにはもう会えない。

 すごい人になっていなくていい。会える人には、会っておきたい。

 身近な人にだって、それこそ、すごい人にだって。

 

--

 

 小保方晴子さんに手紙を書いた。

 何度目かの挑戦で、やっと書けた。

 届くといい。読んでくれるような心持ちであられたら、いい。

 

 それでも大学の簡単なレポートが書けない。

 自分の中、命を削るほどストイックなところと、頼まれても、あるいは具体的に金になる仕事でも手につかない、というところがあって、

 別にそれでいい、と思ってきた。

 それでみんなから置いていかれる。

 

 でもそうだろうか。

 

 人の顔を憶えるのが苦手で、「すみません憶えられなくて」とへらへら笑ってきた。

 でも、憶えている人の中には、すごい努力をして、その出会いの時にすごい力を込めて、憶えたような人もいるだろう。

 それはその人にとって明らかに益だ。

 

 努力について、

 何の努力もなしに、好きなことを突き詰めていくだけで、持って生まれた才能やいいところだけ持って走る、それだけで豊かに花が開くと、そういうことは確かにあるだろう。

 それはとても力を抜いた生き方で、

 ある意味、野性の動物のようなものに感じる。

(そういう生き方を、新時代、ニューエイジの人たちは勧める)

 

 それは豊かなことだ。

 今の、そして生まれてくる子どもたちにそれを望むのもわかる。

 

 だけど、立派な人というのは、絶えずーー電車をいつだって乗り換えて、飛び降りてでも、世のため世界のために、戦ってきたのではないのだろうか。

 

 瞬間瞬間問いかけて、虚しさを持て余す暇もなく、時代を、与えられた生を生き抜いたのではないのか。

 それが、たとえ芸術の分野であれ。

 

 それで初めて越える境地というのがあろう。

 

 私にできるのは、

 私がしたいのは、

 瞬間瞬間、思い浮かぶたくさんの選択肢の中で、最もつよいもの、最もよいもの、最も自分の益になり、神様の理に適っていることをできるように、踏み出していくことか、と思う。

 具体的な、この立ち上がった、一歩を。

 

『ぼくは

 こう生きている

 君はどうか』

 

 光の子となるために、光を信じよう、という。

 光の子たれる確信があったならば、

 日々出会う人に、今までも今からも声を伝えあう相手に、真摯に、愛すること生きることを、聞いてみたい。

 

 愛のこもっていない愛の言葉なんてなんの意味もないんです、といったようなミカエルの言葉を見かけた。

 マザー・テレサが「愛の反対は無関心です」と言ったのは、日本の寂しい社会を目の当たりにしてのことだったともいう。

 

 日々出会う人に、生きること、聞いてみたい。

 でも、

 日々出会う人は、日々生きるこの一歩で、いくらでも変わっていくんだ。

 

 昨日だってあの鞍馬の旅の人に話しかけるあの一歩がなかったら、あんな一日もなかったのだ。

 今日は手紙が出せてよかったと思う。

 

 私は「ここ」にいて、

 光の子たらんと問い続ける一歩を、

 いつかのそのときに、初めて誇れたら、いいと思う。

 

--

 タイトルの三つ「勇気、力、真実」は、「聖闘士神話~ソルジャードリーム~」の一節(笑)……只野菜摘さんすごい。